イギリスで20代女子でも駐在員になった経緯1(高校・大学編)

バイオグラフィ

現在イギリスで駐在員として働いていますが、ここまで来る道のりは本当に運がよかったとしか言えません。

でも運が良い人ってチャンスを引き寄せて、それを掴めた人とも言えますよね!ポジティブに考えると笑

私が海外志向となり、学生時代にアメリカに留学したことは、現在駐在員としてイギリスにいることと切り離せないと思いましたので、今回は「イギリスで20代女子でも駐在員になった経緯1(高校・大学編)」として書かせていただきました。

ノウハウなどはございません!こんな人いるんだあ~と小説のように楽しんでいただけたら幸いです。

受験控える高3が海外行きたいと言い出す

海外へ行きたい、住んでみたい、働いてみたい、と実際に目標として考え行動し始めたのは高校3年生の時からでした。

中学生の時、授業中ですら夢中になって読んでいた「赤毛のアン」の本がずっと心から離れず、

どんな嫌なことでも持前の想像力を駆使して負けないアンの姿や彼女の描写する自然の美しさに、「外国に住むならカナダ!」と決めていました。

周りはもう受験勉強を始めている時期だというのに、「いきなり外国の大学に行きたい!」と言い出すので、先生も両親も驚いたことでしょう。

まずは英語の先生に相談すると「うちの高校から海外の大学へ行った実績はない」「サポートもできない」と言われてしまいました。

そりゃそうでしょう、日本の受験とは全然ちがうし、責任も取れないし、私が先生でもそんな高校3年生の現実逃避な夢を後押ししたくありません笑

ましてや担任の先生でもないという笑

でも当時は、「将来を夢見る学生を応援しないなんて先生失格だ!」なんて思っていました。先生ごめんなさい。本当はめっちゃいい先生です。

「お金ない」「英語力ない」「ただの女子高生」=「無力」

そこから急いでカナダの大学に行くために何をしなければならないのか調べ始めました。

とにかく英語力は必要だし、英語版センター試験のようなテストを受けないといけないみたい、ということが徐々に分かり、思い立っていきなりできるようなことではないと納得しました。先生が正しかったのか…と少し悔しく思っていました。

外国の大学に行くための専門学校などを見学したり、大学に行く前に英語力を高める現地のカレッジ制度を検討したりしました。

道のりは長そうだな、、、と思いつつも、両親に海外の大学に行くことを相談しました。その反応は、心配なのか、予算オーバーなのか、とにかく「お金は出さない」と反対されました。

「お金ない」+「英語力ない」+「ただの女子高生」=「無力」という結果に。

大学受験はすでに出遅れ

あきらめて大学に進学することにしました。進学すると行っても、もう受験勉強は出遅れているし、塾に行っても、「今から受験ですか…普通は厳しいですよ。」と大抵はコメントされました。

受験組ははやくて高校1年生のときから積み上げていると言うのです。とりあえず、塾の実力テストを受けると、なんとなくの基礎力はあるようで、特に英語は「外国の大学に行きたい」なんて言っていただけあって得意分野だったようです笑

得意分野が活かされる大学を選んで、合格圏内とそれよりちょっと上の大学を11校受験しました。受験するだけでもお金がかかるというのに…ありがとう、お母さん、お父さん…

結果、日東駒専レベルの普通の大学に1校受かりました。ギリギリ受かって嬉しいような嬉しくないような。とにかく自分の将来が首の皮一枚でつながれた気持ちでした。

交換留学という選択肢をみつけ、応募するも…

キャンパスライフがはじまるのか~と入学式で大学についての資料を読むと、約1年間海外の提携大学へ派遣してくれる交換留学制度があることを知りました。

数か月前まで外国の大学に行こうと思っていた自分にはピッタリな話題!すぐに説明会に参加しました。

400人は集まる講義室のほぼ満席状態で生徒が集まる中、後ろのほうからこっそり説明を聞いていました。

配られた応募要項のパンフレットをパラパラめくると、なんと1校に対して2人枠とかなり競争率が高そうです。見渡す限りがライバルなのか…と圧倒されていました。

英語のレベルは最低でもTOEFL iBT 61以上が必要で、志望動機と留学先での計画書を提出し、最後は面接で決まります。英語力だけでなく大学での成績でも判断されます。

でも、交換留学は渡航先での学費が必要なく(日本の大学の学費は通常通り払う必要あり)、単位を日本の大学に移行できるので、両親は反対しないだろうと燃え上がりました。

そこから、応募するまでの間、高い成績を維持しつつ、TOEFLのスコアをとるために必死に勉強しました。

TOEFLは2時間リーディング・リスニング→10分休憩→2時間スピーキング・ライティングとハードで、めちゃくちゃ集中力を必要とするテストです。

今まで英検でひーひー言っていたのが生ぬるく感じるほどです。1回、2万5千円するテストを3回も受けてやっと合格スコアまで到達しました。

7万5千円の出費…まあ別のところに浪費するよりはマシ!?→そう思いたいだけ笑

日本の大学生は遊んでいるのがデフォルトなのか、日々の単位や成績については面倒な授業はあったものの、TOEFLの地獄に比べれば簡単にとることができ、学業奨励賞までもらいました。

書類提出、面接を終えて、数週間後かに合否通知が自宅に届きました。

結果は「不合格」。。。。。

もう、私の夢は叶わないのか。。。。

と絶望的になって、休学でもして海外に行こうかなあーと考えていると、大学から電話が。

合否通知が届いたのに大学から電話が

もう用はないけど、なんぞや!!もう不合格なんだよ!!と怒りを抑えながら電話を取りました。

「もしもし、国際センターの者ですが、留学の意思はまだありますかー?」といきなり聞かれました。「ん?どうゆうことだ?」と思いつつも

「はい、そうですね」と曖昧に答えると「合格者がひとり辞退しましたので、次の順位の方に留学の意思があれば、派遣したいと思いましてー」と…

「え、わたし留学いけるの!?!?」と心の中で、絶対にこれは夢に違いないと何度も何度も状況を疑いました。とゆうか補欠制度が存在したのか笑

とゆうわけで、高校生から念願だった外国の大学に行くことになりました。

アメリカのアーカンソー、通称「Middle of Nowhere」=「ど田舎」とも言われる州の大学に行くことになりました。

よく、なぜそこを選んだの?と聞かれますが、他に選択肢はなかったのです笑 とゆうか、その田舎の大学すらも補欠合格なのです。。。

ど田舎の大学で華やかな生活は全くできず、お酒さえも買えない街なので、ほぼ勉強しか楽しみがなく、オール5の素晴らしい成績を収め日本に帰国しました笑

田舎だったけれど、一人でアメリカで生活し、アメリカ人の友達やネパール、ベトナム、サウジアラビア、エルサルバドールなどなど、世界中から来た留学生たちと勉強したり、遊んだり、ケンカしたりした思い出は、私の人生でかけがえのないものとなりました。本当にがんばってよかったと今でも報われた気持ちになります。

・・・・・・

数々の失敗から伝えたいこと

高校・大学と私のゆるぎない海外志向は本当に赤毛のアンが理由だったのか自分でも疑問ですが、失敗しても、断られても、1回や2回ダメでもどうにかなる!道は開ける!というのはここまでで学びました。やりたいことあるなら、やり方を変えてもいいから向かおう!

続きは「イギリスで20代女子でも駐在員になった経緯2(就活・社会人編」で!

コメント

  1. […] 高校・大学編から続きまして、今回は私がアメリカ留学から日本へ戻り、どのように就活し、社会人になり、そして駐在員に選ばれたかの経緯を「イギリスで20代女子でも駐在員になった経緯2(就活・社会人編)」として書かせていただきました。私の進んだ道はあくまでも一例にすぎませんが、皆さんの将来のキャリアのヒントに少しでもなれば幸いです。 […]

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